歪んでいても愛おしい

歪んでいても愛おしい

2022年4月25日

念願だった陶芸をはじめて
数ヶ月が経ちました。

自由に伸び伸びを作らせてもらえるので
私にとっては刺激の場となっています。


先日、はじめての作品が焼き上がりました。

感無量です。

私の頭の中にあったものが
この世に具現化できました。

なにこれ!?
と思われた方もいらっしゃるかもですが、
これはレンコンの箸置きです。

ずっと見ているとムンクの叫びに
見えてくるので、ご注意ください(笑)


もともと市販で売っていたコチラが参考↓

これはこれでシンプルなデザインで
とってもお気に入りです。

が、自分で作ったレンコンのほうが
とんでもなく愛おしいのです。

ちなみに、わざと歪ませております。
決して私が不器用なわけではなりません。

むしろ、手先は器用な方だと思います。

もともと美術部員でしたし、
当時は部長もしていました。

私が創作活動をやめたのは
高校生くらいでしょうか。

当時は、全てが面倒だと感じて
頑張ることがダサいと思っていました。

裏返すと、完璧にやらないと恥ずかしい。

だから、あらゆることに無理をして
高校生なりに頑張って生きていました。

しかしながら、苦しくなった私は、
とうとう道を踏み外してしまいました。

レールから外れた自分は
もう生きている意味がないと思いました。


あの頃の世界は非常に狭く、息苦しく、
羽ばたこうとすると、周りの大人に
押さえ付けられると感じていました。

この国の教育制度に疑問があるのも
当時の記憶が強烈だからかもしれません。


今になって思えば、
みんな守ってくれていたんですよね。


子供が道を踏み外さないように。
大人が想定できる最善になるために。
一般的に感じる幸せを得られるために。

でもね、当時は反発してばかり。

何をするのも許されないと感じて
生きるのが嫌になりそうでした。

そして、一度歪んでしまった人生は
もう二度と戻らないと恐れていました。

この世は残酷だと思い込んでいたのです。


今になって思えば、
人生はくねくねすればするほど
他者に共感することができる。

経験値があればあるほど、
あらゆる想定ができるようになって
人生を楽しむ余裕が出てくる。

弱みを知っているからこそ、
人に寄り添えることができる。

痛みを知っているからこそ
自分の底辺も限界も知ることができた。

だからこそ、踏み込める人生がある。

この世に、完璧な人なんていません。
完璧になる必要もありません。

もし仮に、完璧があるとしたら
それは自己満足という言葉かもしれません。

人間は、自分にとっての完璧しか
イメージすることができないし、
その先のもっと凄いものを知りません。
誰も、その先を見ようとはしません。

完璧しか許せなかった頃は、
完璧じゃない部分を探しては
自分に対してダメ出しばかり。

ちょっとOKでも、100%OKではないので
自分で自分を許すことができない。

毎日、毎時間、自分に対して
呪いの言葉をかけていました。

この呪いは、
一生解かれることはないと思っていました。
解けるはずがないと。

そもそも呪いの存在に気が付いたのも
ここ数年のことなのです。


あなたにかけられた呪いはありますか?
また、どうしても許せないことはありますか?



何か一つでも気付きがあれば幸いです。